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毎天在上海

数度目の中国勤務になりました。今回は初めての上海です。上海での毎日を思いつくまま。

   
カテゴリー「ひとりごと」の記事一覧

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本日帰国します

今年の1月に上海に来て11ヶ月、1年に満たない上海生活でした。短くはありましたが、お仕事でもプライベートでも、中身の濃い上海暮らしでありました。アパート付近は見どころも結構たくさんあり、数回でしたが着物姿でウロウロしたりもできたし・・・。自慢のとんびコートを着れなかったのは残念でしたが。

お土産をどうしようか・・・散々考えたのですが、あまり思い浮かばず、結局、田子坊でカシミアのマフラーを一気買い。お店のオネェサンが倉庫から、こんなのもあるよ・・・とイロイロ出してくるので、切りがありません。ちょっとだけマケテくれました。後は、お茶を少し。中国土産はお茶が一番無難よね。実家に田子坊の切り絵作家のスタンドを買おうかと思ったのだけれど、残念ながら220V。変圧器をつけてまでとは思わない。日本へのお土産用に110Vも揃えておくとすごくよく売れると思うよ。

経済的に実力をつけてきた中国、まだまだドンドン変化していきそう。日中関係はギクシャクしたままですが、私もこれからもお付き合いをすることになるのでしょうね。請多多関照・・・。
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最後の二胡のレッスン

今日は朝から冷たい雨が降っています。捨てるものは捨てて、人にあげるものは渡しちゃって、帰国の荷造りはほぼ完成。持ち帰る荷物はスーツケース3つで納まりそうです。そして、今日は最後の二胡のレッスンがありました。

本当ならば、来週の発表会に出るところだったのですが、ギリギリ間に合いませんでした。もし出るとしたら”賽馬”を弾くことに。もともと今回上海で二胡を習う時の目標にしていた曲だっただけに、ちょっと残念。・・・でも、どう考えても、すごく歪な演奏になっていただろうと思います。私がもうすぐ帰国すると分かってから、先生の方針が、たくさんの曲を教えようというものに変わったようで、弾きやすそうな曲をいろいろ教えてくれました。結局、この半年程度でやった曲は、良宵、賽馬、光明行、月夜、空山鳥語。ほとんど練習しなかったわりには、まぁまぁでしょ。

“空山鳥語”は前回と今回の2回のレッスンだけだったので、弾き方を教わった程度です。鳥がさえずりながら木から木へと渡っているようなところは、どうしても指が動かず、鳥が木から墜落してしまいます。墜落した上に、地面でもがいている感じ・・・。人差し指を弦の下から上へと動かしながら、中指でずっと弦を叩いているって、普通出来ます?今日は鳥が掛け合いながらさえずるところを習ったのですが、ピヨっ、ピヨっ、ピヨっ、ピヨっ・・・の間になぜか、オッ、オッという合いの手が入ってしまいます。・・・うーん、どうやら右手と左手が合っていないのか原因らしいのですが、オッを出ないようにすると、ピヨっ、が、ビヨーという感じになってしまいます。・・・先生からのアドバイスも、よく練習してね・・・というものでした。

先生方、ありがとうございました。へたくそでもそれなりに音が出るものは、やっぱり楽しい。日本で修行して、もっと柔らかい豊かな音が奏でられるように頑張ります。

レッスンの帰り、紹興路にあるお気に入りのカフェでランチ。前はブランチがあったのですが、止めてしまったみたいです。田舎風パスタを注文。 

スゴイ量!と思ったのですが、トマトの酸味が利いていて、煮込んだ野菜がたっぷりと入っていて美味しい!結局ペロリと平らげてしまいました。横の席では中国人の親子連れがビザをパクついています。おかぁさんが英語の勉強を見ているみたいで、小学低学年の男の子が、一生懸命、本を見ながら発音しています。やっぱり中国人は教育熱心です。

今日の夜は90年代に北京で一緒に働いていた仲間が最後の送別会を開いてくれます。荷物の整理中、80年代に中国で働いていた人達からもらった“イロハかるた”のパロディが出てきました。

・い  犬も居ぬ、猫も居ぬ
・ろ  論より故障、国産品
・は  はな(最初)からマオタイ
・・・今は全く違います。30年で、すっかり中国は変わりました。

・ゑ 衛生はうわの空
・ひ びっくりするのが静電気
・も 物が無いのが当たり前
・せ 席順ご注意丸テーブル
・す 住まねば都
・京 今日の夢、日本の夢

今夜、私の見る夢は日本の夢でしょうか・・・。

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美容院へ

秋もぐんぐん深まっています。アトリエ・ヘリンボーンで仮縫いをしてもらった後、衡山路の辺りをブラブラ。プラタナスの大きな葉っぱはかなり落ち始めていますし、公園の木々も黄色く色づいてきました。
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お昼はいつもお世話になっている青年餐庁へ。新メニューでトマトと卵炒めが紹介されていました。新メニュー?最初初めて中国に来た時(85年です)、勉強に来ていた学校の食堂にはなかなか口に合うものがなかったのですが、このトマトと卵炒めは大丈夫で、こればかり食べてました。昔は定番メニューだったと思うのだけど、そういえば最近はあまり見ません。
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・・・そういえば、初めてトマトに砂糖を掛けて食べているのをみてビックリのも85年頃です。学校の小売部でコーラを買うとストローが付いているのですが、紙を蝋で固めたみたいなので、すぐにヘロヘロになっていました。瓶入りのヨーグルトは当時から美味しかったです。

二胡の先生に90分たっぷり絞られてから、美容院へ。この1年間大変お世話になったのだけれど、多分今回が最後です。私は威海路にあるSOFLに行っていました。今年の1月に春節中も営業しているところをフリーペーパーで探して見つけました。店長さんは滋賀の人で、関西人の私にはとても話しやすくてラクチン。それにカットが上手なので、ショートヘアの私にはとてもありがたいのです。・・・昔、北京で中国人の経営する美容院でひどい目にあってから、美容院だけは日本人美容師さんにしてもらっています。・・・街でよく見かける文何とかというオジサンが看板の美容院がすごく気になるのだけど、自分で試しに行く勇気はありません。

女性にとっては、美容院選びはかなり重要です。身だしなみのことでもありますが、仕事やら人間関係でいろいろこびりついたゴワゴワしたものも、美容院ですっきり落としてもらえるような気がします。髪の毛と一緒にゴワゴワしたモノも切ってもらえるのでしょうね。その上、日本のファッション雑誌も置いているし、いろいろな情報も教えてもらえます。初めて行ったときは、上海に来たばっかりだったので、食べるところとか、日本食材を売っているところとか、フリーペーパーの種類とか、色々教えてもらいました。今日も白髪染めとおしゃれ染めの違いについて、ひとしきり。

今までありがとうございました。今日もすっきりとキレイにしてもらいました。・・・それにしても、美容院では髪はすごくサラサラになるのに、家だとなんとなボサボサするのは何でなんでしょ。

日本に帰ったら、また新しい美容院を見つけなくっちゃ。
 

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オーダーメィドの服づくり

街に中国国旗が目立ちます。??なんかの祝日だったっけ?よく考えてみるといよいよ党大会が始まるからですね。上海はそれほど街中がスローガンだらけにならないので、大変な政治の季節がやってきたことを忘れてしまいます。

いよいよ帰国が決まり、帰るまでに何ができるか考えて、オーダーメィドの服を作ることにしました。前行った服市場は安いんだけど縫製が気になりましたので、フリーペーパーに出ていた日本人がいるお店、アトリエ・ヘリンボーンへ。意外にこじんまりとしていてちょっとびっくり。

お店では日本人経営者の方が流暢な中国語で中国人客を相手に商談しています。・・・中国人客も来るんですねぇ。日本人経営だとデザインとか布地とか縫製とかやっぱり安心感や高級感があるからかなぁ。途中で間違い電話が掛かってきたのだけれど、日本人経営者の方は“間違い電話じゃ!そんな人間おらん!”と鋭い口調の中国語で言い放ち、バシっと電話を切りました。正しい中国での電話の受け方です。長く中国にいるのかしら?以前はアパートの中でやっていたそうで、1年前にこのお店を構えたそうです。中国に長くいると、愛想笑いをしなくなるので、日本人っぽくなくなります。

狭い店内にはサンプル品や布地がところ狭しと置かれています。まずはサンプル品から気に入ったものを選んで、試着。その上で、デザインやらサイズ、布地等を相談します。・・・前のNHKの朝ドラみたいな感じ。

いろいろ迷って、ドレープのきいたワンピースとツイードのワンピースとジャケットのスーツとポンチョみたいな形のジャケットをお願いしました。カシミアのコート・・・とも思ったのだけれど、ごついコートってそんなに出番がないのよね。北京時代にいろいろ作ってしまっているし。

2週間後に仮縫いです。どんな風になるのか楽しみ!

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加藤嘉一さん

何気にネットを見ていて、加藤嘉一さんの経歴詐称の記事をみつけました。彼とは前回の北京勤務の時に会った事があります。当時は、確か、北京大学に留学中だったと思う。
日本から有名な中国研究の先生が北京に来ていて、夜食事をするからと、人伝にお誘いいただいて参加した居酒屋での飲み会に彼も来ていました。中国研究の先生は結構過激なご意見の持ち主らしいのですが、鋭い眼光とユーモアたっぷりのお話しで非常に刺激を受けたことを覚えています。加藤さんはたぶん一番年下だったこともあるのか、ずいぶんこまごまとした下働きをしてくれて、マメな人だなぁ、という感じでした。彼は当時からメディアで自分の意見を言いたいと言っていたと思います。その後、NHKで、中国人の若者と日本人の若者が討論し合うという番組に出ていて、へぇーっと思っていました。
それから、“中国で一番有名な日本人”というキャッチで日本でも注目されるようになっていく彼ですが、最初の頃の謙虚さは忘れてしまって、メディアでの発信力をパワーアップしたかったのかしら・・・。微博でもかなり批判がでています。彼自身についてはもちろんですが、中国のメディアがなんで騙されたのかとか学歴主義、森口氏のこと、北京大学は卒業したそうだが東大とどっちがレベルが上?とか・・・。
残念だけど、また中国や日本のメディアで復活するのはしんどいかなぁ。

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自己紹介:
最近着物に凝っています。上海で着物で過ごすのが今年のテーマです。

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