毎天在上海
数度目の中国勤務になりました。今回は初めての上海です。上海での毎日を思いつくまま。
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日本No.1的烏冬麺連鎖店 丸亀製麺
近くのショッピングセンター地下にあるフードコートにオープンした丸亀製麺。気になっていたのだけれど、いつも行列でちょっと敬遠してましたが、今日は思い切って列に並びました。
列に並ぶとオネェサンからチラシを渡されます。チラシの片面にはメニュー、片面にはオーダーの仕方が書かれています。実はセルフのうどん屋さんは日本でも行ったことがなくて初めて。チラシが役に立ちました。
お盆を取って、オネェサンにメニューを言って、うどんを渡されたら、トッピングやおにぎり等をセルフで取ります。そこで清算。薬味類(ネギ、生姜、テンカス、香菜・・・中国っぽい)はその後、自由に取ります。飲み物メニューはなし。・・・ビールが飲みたかったのに。でも、おかげでお客の回転は早いです。
調理場はこんな感じでガラス越しでよく見えます。機械でうどんが製麺されているところも、注文を受けてから茹でるところもよく見えます。
釜揚げを注文する人が多いかなと思ったのですが、カレーうどんとか、マーボーうどん(?)とか、味つきを注文する人が多いみたい。でもメニューには釜揚げ、ざるうどん、素うどん等、普通のうどんも。
釜揚げにエビの天ぷらとかぼちゃの天ぷら、稲荷ずし1個で32元。こんなもんかな。天ぷらはべとっとしてなくてよかったけれど、格別美味しいことはなく、稲荷ずしも普通。まぁ、値段からしてそうですよね。釜揚げはさすが美味しい!・・・なんだか久しぶりにコシのあるヌードルを食べました。・・・うれしい。一般的に中国の麺はコシは求められていないみたいで、坦坦麺等美味しいんだけれど、麺のコシよりもタレの味がポイントのような気がする。
丸亀製麺は大行列、その横の赤坂ラーメンはほとんどお客なし。もう1件、いつもフードコートで行列なのが、芋貴人。
デザートなのですが、芋Qと言うものが入っているみたい。
芋丸1号とか2号とか・・・。芋Qって何?今度は芋丸に挑戦してみます。
イタリア料理Pane e Vino
今日は曇り、雨は降っていないのですが、風が強くて寒いです。着物を着て、外をブラブラ。
母親からもらった青地に風車柄の紬に薄い卵色の狛犬やら鳥笛やらの模様が入った帯、草色の帯揚げに臙脂色の帯締め。紺色の無地にリンゴの紋の入った羽織を着て、黒の別珍の足袋に臙脂の鼻緒の下駄。
この母親からもらった青の紬は昨年私が着付け教室に通った時の練習着です。母親とは身長は同じぐらいなのですが、胸の大きさが違うのか、脇のところに変な弛みができてしまいます。今日もちょっとフガフガしていましたが、羽織で隠して、まぁ良しと言うことで。
今日は瑞金二路を北に歩き、茂名南路のイタリアレストラン”‘Pane e Vino"へ行きました。この辺りは旧フランス租界地で、1920年、30年代のおしゃれな建物が多く残っています。このレストランもタイ料理やピザ屋、焼き鳥大吉と並んだところにあります。
アパートを出たのが11時。ブラブラ歩いてレストランに着いたのが11時半、最初のお客さんだったみたいです。店内にはイタリア人のオーナーと中国人服務員が二人、着物姿の私を見てちょっとビックリしたようでしたが、窓際の席に案内してくれました。
ハウスワインを飲みながら、生ハムメロンとシーフードとトリュフのクリームパスタをいただきました。
どちらもとっても美味しかったです。特にパスタは抜群でございました。これにコーヒーをいただいて、360元。まぁ、そうでしょうね。
途中で日本人の三人家族が入ってきました。母親が、日本に帰ったらこんなふうにしょっちゅう外食は出来ないのだから今のうち楽しんでおけと幼稚園児の娘に言っています。娘はちょっと不安げ。・・・そうなんですよね、中国ではしょっちゅう外食だったり普段にタクシーを使ったりするので、日本での電車移動や自炊が面倒になるのです。
この後、永嘉路の辺りや紹興路の辺りもブラブラ。永嘉路では漆器屋さんを見つけました。
椰子の実を使ったお椀に赤いお皿を買いました。店内には茶道具やら花器、灯やら、面白そうなのがいろいろ。
紹興路は以前、出版社が多く並んでいたようで、昔の建物のままではあるのですが、今でも出版社や図書館、ブックカフェが並んでいます。紹興公園という小さな公園もあり、壁には中国の地方演劇(京劇、昆劇、越劇等)の紹介が書いてあります。近くに演劇学校もあるみたい。もう少し暖かくなったら、ゆっくり見て歩きたいです。ボトルショップを見つけて、アルゼンチンワインを1本購入。
帰り道、歩高里を発見。赤レンガでレトロ感たっぷり。道沿いは小さな商店が並んでいますが、中はまだ一般市民が住んでいます。
ガイドブックを見てみると、作家の巴金が1ヶ月ほど住んでいたとか。私が毎日の様に通っている 日月光中心の辺りは、以前は新新街という里弄で、肉屋、タバコ屋、飲食店の他、阿片窟、売春宿、賭場もある、それこそ1920年代の魔都上海そのものの場所で、アカ(共産党)のアジトもあったそうです。田漢が創設した芸術団体の南国社もあったとか。・・・そんな由緒正しいところだったとは。
また、肇嘉浜路は以前クリークだったそうで、ここから北が旧フランス租界、南は華界だったそうです。私は今、昔クリーク沿いで乞食やクーリーがひしめいていた貧民窟に住んでいることになります。・・・面白そうです。
青年レストラン
気分がよくなったのでお昼でも食べようかと文庫本を持って、外へ。ちょっと気になっていた“青年レストラン”へ行ってみました。
なかなかこぎれいなレストランなのですが、名前がどうも昭和チック。”純喫茶わかば”みたいな感じ。中に入るとやっぱり、青年とは言えない年齢層のお客で一杯でした。
それもなぜか女性が多いのよね。土曜日のお昼に親戚だか、ご近所だか、女性の友人同士で集まるのが流行っているのかしら。みんなおっさんのようなどすの利いた、且つ大きな声でわぁわぁしゃべっています。やっぱりここは大阪に似ています。
昔のメニューは文字が並んでいるだけだったのだけれど、最近はほとんどが写真入で、わかりやすい。久しぶりにピータンと辣子鶏を注文。ビールももちろん。お腹が痛かった人が食べるメニューではありませんなぁ。
鶏はあまり辛くなかったのですが、全般的にまぁまぁ美味しかったです。服務員の態度も普通で腹立たしいと思うことはなかったし。中高年のお客が多いから気をつけているのかしら。注文はしなかったのですが、麻婆豆腐が3元となっていました。3元って!30元の間違いかしら。今度注文して確かめないと。
その後、横のタイ風店構えのマッサージ屋で足裏をお願いしました。60分で58元!安い!伝統的足裏ということですが、なぜか紙のブリーフみたいなものを履かされました。足湯を使っている間、肩、背中、腰をマッサージしてくれます。
“お客さん、左肩がエライ張っていますなぁ。すごいシコリがありますよ。どれくらいの頻度でマッサージしてはるんですか?”
”2週間に1回ぐらい”
”少なすぎますなぁ。どこで?”
”ドラゴンフライ”
”あそこは軽くて効きませんやろ”
”でも気持ちいい”
座ったまま、海老そりをさせられて、それから足マッサージです。あまり気持ちよくて熟睡していたのですが、途中、膝にシップ薬を貼られたり、木琴の棒みたいなので足中叩かれたりします。最後に、足を持たれてビックリするような格好をさせられて終わりでした。途中、会員カードを作ったら?とか、うるさかったですが、まぁ、満足です。家から近いし、次は全身マッサージをやってみようかな。
帰りにベルギーチョコを使っているケーキ屋さんBlach Magic Chocolateに寄りました。店内は満席、12、3人待っているとのことで、あきらめて1個買って帰りました。32元。・・・麻婆豆腐の3元はやっぱり間違いだと思う。
さすが32元だとこんなパッケージ。
甘過ぎない上等の濃いチョコレートケーキでした。中国でこんなのが食べられるなんて。時々ストレス解消に立ち寄ることにします。
と言うことで、今日は会社のパソコンを立ち上げることなく、ゆっくりリラックスさせていただきました。明日はどうしようかな。
晴れました!
上海に着任してから本当に目が回るような忙しさ。今週は本当に目が回ってきて、三八婦女節にちょっと会社を抜け出して全身マッサージをしてもらいました。中国では国際婦人デーの3月8日、女子社員は半日休暇を取ることができるのです。肩と背中がカチコチになって、ひどい状態だったのですが、90分間揉んでもらってちょっとスッキリしました。でも昨日の夜、会社を出ると急にお腹が痛くなってきて、アパートに帰り着いた途端、ベッドに倒れこみました。ちょっと熱もあったみたい。・・・変なものを食べた記憶はないのですが、先週会った成都勤務の同僚が熱っぽくって食欲がないと言っていたので、四川の風土病でもうつったのかもしれません。咳き一つでないので、風邪ではないと思うのですが。体力だのみで激務をこなしてきただけに、ここで倒れるわけにはいきません。
それでもさっき、カーテンを開けて晴れた景色を見ていると、気分がだいぶよくなってきました。あとでブラブラ散歩してみます。
あの3月11日からもうすぐ1年。今まで大きな地震を体験したことがなかったのですが、あの日の地震、停電、交通機関の麻痺、寒さ、それから続く、余震、水不足、節電、放射能・・・。東北や福島の人たちに比べると、何てことないのですが、それでも、数ヶ月不安なまま過ごすのは辛かったです。あれから、被災者の方々のために何をしたらよいのかをずっと考えていますが、実際には募金以外はやったことがありません。私みたいな人は多いのじゃないかしら。東北に注目し、関心をもつようになったのは、確かだけれど、・・・何もしていません。・・・日本に帰ったら東北旅行でもしてみようかしら。
それにしても、写真ってすごい。被災者の方々が過去の家族写真を見つけた時の喜び、驚きの様子は、感動します。流された普段の生活や幸せがリアルに戻ってくるのでしょうか。私は写真をプリントアウトすることはほぼなく、全てPCかカードの中にデータで入れたまま。そう言えば、昔はよく意味もなく、アルバムを捲って、その頃を思い出したりしたけど、PCの中に入ってしまうと、なかなか見ることもありません。アルバムを見たり、歌を聴いたりして、その当時を思い起こすことが気持ちよく思えるって言うのは、齢をとったってことかしら。