毎天在上海
数度目の中国勤務になりました。今回は初めての上海です。上海での毎日を思いつくまま。
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厚味 香辣館
お盆休みで多くの日本人が帰国している中、せっせと働いております。人が少ないせいか会議がほとんどなくて、仕事がとっても進みます。調子に乗って19時くらいまでやっていたら、オフィスの冷房が止まっていて部屋の中はすごい蒸し暑さ。窓も開かないし・・・。っで、仕事を切り上げて、家の近所の四川料理屋へ行きました。
よく看板は見ていたのだけれど、入るのは今日が初めてのお店です。小柄な兄ちゃんたちがせっせと働いています。
こちらは”スッパ辛い豌豆粉”。見た目はうどんなのですが、伸びたスパゲティと’言うか・・・。ねっちょっとしておらず、口当たりがサッパリしています。どこかで食べたことがある食感なんだけど、思い出せない。お椀が濡れているのが気になります。
例によって辣子鶏です。そんなに辛くない気がするのだけれど、顔中の毛穴が一気に開いたみたいに、汗がダダっと流れ出てきます。どこから吹き出てきたか分からないくらい。私の身体のどこかの器官が何やらすごく刺激を受けたみたいです。
汗を拭き拭き、アパートに帰ってくると、中庭がすごく明るくなっています。テレビドラマの撮影をしていました。公園のシーンかしら?俳優さんが台本を一生懸命読んでいます。アパートのエントランスにも、衣装やら照明やらがたくさん並んでいました。椅子の上には、中年男性の俳優さんがピンクのポロシャツを着て、携帯扇風機を片手に、台本チェックをしています。うーん、ホームドラマかしら。真夏ののんびりした夜です。
でも、今日は日本大使館から注意喚起のメールが来ました。尖閣諸島の件で日中関係が緊迫してきているので、派手に徒党を組んだり、ウロウロするなと言うお達しです。・・・またですか・・・。日中関係はすでに磐石と信じたいですが、夏になるとこういうことがよく起こりますね。領土のことは民族意識をすごく刺激しますし・・・。しばらくおとなしくしておかなければ。
よく看板は見ていたのだけれど、入るのは今日が初めてのお店です。小柄な兄ちゃんたちがせっせと働いています。
こちらは”スッパ辛い豌豆粉”。見た目はうどんなのですが、伸びたスパゲティと’言うか・・・。ねっちょっとしておらず、口当たりがサッパリしています。どこかで食べたことがある食感なんだけど、思い出せない。お椀が濡れているのが気になります。
例によって辣子鶏です。そんなに辛くない気がするのだけれど、顔中の毛穴が一気に開いたみたいに、汗がダダっと流れ出てきます。どこから吹き出てきたか分からないくらい。私の身体のどこかの器官が何やらすごく刺激を受けたみたいです。
汗を拭き拭き、アパートに帰ってくると、中庭がすごく明るくなっています。テレビドラマの撮影をしていました。公園のシーンかしら?俳優さんが台本を一生懸命読んでいます。アパートのエントランスにも、衣装やら照明やらがたくさん並んでいました。椅子の上には、中年男性の俳優さんがピンクのポロシャツを着て、携帯扇風機を片手に、台本チェックをしています。うーん、ホームドラマかしら。真夏ののんびりした夜です。
でも、今日は日本大使館から注意喚起のメールが来ました。尖閣諸島の件で日中関係が緊迫してきているので、派手に徒党を組んだり、ウロウロするなと言うお達しです。・・・またですか・・・。日中関係はすでに磐石と信じたいですが、夏になるとこういうことがよく起こりますね。領土のことは民族意識をすごく刺激しますし・・・。しばらくおとなしくしておかなければ。
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COMMENT
そうか、やはりあそこにお住まいなのね・・・
いや、私は行ったことないですが。
それよりも、気になったのは、中庭です。
フムフム、やはりお住まいはあそこだったのね・・・ということ。
我が家はその裏と言いますか、同じ格好の建物の中です。
97年に購入したんですが、当時は・・・・
oyameiさんのところが平米当り1400ドル(当時の人民元で12000元)で、
我が家のほうは6700元だったんですよね・・・
同じ開発会社、同じ管理会社、建物の造りも殆ど同じなのに・・・
しかし、今じゃ、価格(どちらも平米当り3万元)も家賃も同じ。
oyameiさんの棟を95年当時購入したのは、香港人と台湾人が殆どのはず。
いや、日本人も結構いたのかもしれません。
もう、その時のオーナーからは代替わりしてるのが、多いのかと思いますが、
当時あそこを買った外国人は、裏の物件のその後の経緯を見て、
ホゾを噛んだはずです。
95・6年当時ですと、oyameiさんのところは、日本人が結構住んでたはずなんです。
当時は、日本の会社の事務所は瑞金大廈やあの辺りの淮海中路に多かったですから。
ですから、当時の家賃は、今より相当高かった・・・。
日本人が多かったという、名残と言いますか、それは、今でもある日本料理屋です。
当時は、その並びに、日本のタレント・プロダクションがやってる
ダンススタジオなんかもありました。
上海に家がありますので、今後も上海にはショッチュウ帰ってきます。
いや、今回の日本生活への移行ってのは、娘が高校と大学は日本で、
と言い出したからなんです。
大学に入ったら、また、上海生活に戻ることになるかと・・・
なんせカアちゃん(妻と言うこと)は上海人ですからね・・・
何事も上海が1番と、思い込んでいるのです・・・困ったもんです。
oyameiさんのブログのアップは週末のみのようですが、
あの辺りの様子が見えてきますので、楽しみにしています。
スミマセン・・・超長~いコメントになってしまって・・・・
そうです、そこです
いつもコメントありがとうございます。
中庭の写真で分かるものなのですね。裏手のマンションと言う事は、夜間も照明がきれいなテニスコートがある方ってことですね。ご近所さんだったとは。失礼致しました。
ここのマンションはそんなに古いのですね。私は、価格が手頃な割りに広いことと、外人向けなんだけど、日本人ばかりでないところが気に入りました。オーナー管理でなく、サービスマンションになっているところも魅力です。・・・ほとんど家事をしないので、掃除やゴミ捨て、タオルやシーツの交換をしてくれるのはとってもありがたいのです。
そう言えば周りに日本食屋がボチボチありますね。鳥重は時々行きます。青葉は行ったことがありません。スキ焼屋は覗いたんですが、雰囲気が怖くて中に入れませんでした。あと鉄板焼き屋みたいな看板は見かけたことがあります。老舗の日本食とは知らずにおりました。ちょっと回ってみようかと思います。
ご近所のこと、また教えてください。
打浦橋物語
あそこは全てオーナー管理だと思っていましたが、
サービスマンションタイプがあるとは知りませんでした。
あそこは、95・6年当時は日本人が多かったんですが、
その後、古北ができ、日本の会社の事務所が虹橋開発区周辺に
移ってからは、日本人率一気に下がっていったはずなんです。
でも、当時日本人が多かったのかと思わせる名残である日本料理屋が
未だに細々とやっている。
それは海興広場の1階の商店街と言いますか、店が並ぶところ
(つまり、ケンタがあり、文房具屋や不動産屋があるところ)
にある日本料理屋です。
名前は何と言ったか・・・いや、私は14年打浦橋に住んでいましたが3回しか
いってないので・・・思い出せませんが・・・
そこは97年当時にもありまして、未だにやってるんです。
打浦橋に日本料理屋が出来始めたのは、6・7年前からでしょうね。
いまや結構ありますが、昔からあるのは、その1つのみ・・・
そして、あの商店街には、昔は日本人が関係していたダンススタジオも
邱永漢 がやってる永漢中国語教室もあったのです。
それらは2000年頃まではありましたが、その後は、
日本人の影は全て消えうせてしまったのです。
そして2006・7年頃から、またまたボチボチ日本人が増え始め、
いまや、日本料理屋が結構多くなってきたということです。
鳥重は出来て、まだ3年たってませんが、私も好きで何度か行っています。
あの店は、高樹のぶ子の「甘苦上海」にも出てきたそうです。
ただし、茂名南路にあったころの店ですが・・・。
店主は大連の人で、日本に長く居たとか・・・
私が好きなのは、モツ煮込みとレバ刺しですね。
第2店を出したっていうんですから、繁盛してるんでしょうね。
しかし、上に書いた日本料理屋・・・いや、定食屋って感じの店なんですが・・・
もう、15年以上はやっているんですから、立派なもんです。
消長の激しい上海にあっては、非常に珍しいこと。
思うに、店は借りてるのでなく、店主の所有物件なのかも・・・。
またまた長いコメントになってしまいました。